先日、ジョイズを創業して10年が経ちました。

比較的格差が少なく文化的に画一と言われる日本とその教育制度の中でも、人によって受けてきた教育は大きく異なります。 私達がジョイズ株式会社でやること、やろうとしていることを、納得感を持って理解いただくため、現状認識の共有にチャレンジしたいと思います。

日本の小・中学校、義務教育課程においては、公立学校が全体の9割超を占めます。 そのため、ここでは特に公立の特徴を、私立や塾と対比しながら述べていきます。

私立や塾などの、私費の教育機関で教育を受けてきた方や、企業組織内でバリバリ働かれている方のほうが、発見や気づきがあるかもしれません。

教育関係者には、議論が乱暴だったり、一般化しすぎている、と感じる方もいらっしゃるかもしれません。 何卒ご容赦ください。 もしくは、Xで指摘いただけると嬉しいです。

義務教育の現状認識

公立学校は生徒を選べない

公立の小・中学校では、一部の例外を除き、住所で学校が決まります。 公立学校に勤務する教員は、多様な学力、生活環境、そして行動の違いを持つ生徒が一斉に集まる中で、全ての生徒に対応することが求められるのです。 この環境自体が挑戦であり、時に困難を伴います。 個別の指導が必要な生徒や、特別な配慮を要する状況が日常的に発生しますが、その中でも教員たちは教育の質を保たなければならないのです。

これを他の職業に例えるならば、採用基準なく、ランダムに選ばれた同僚やチームメンバーとともに仕事をするようなものです。 あるいは、町内会のような団体を想像してもらうのも良いかもしれません。

入学する子どもを試験で選別したり、実力別にクラス設定ができる私立や塾とはまったく異なる環境ということができます。

公立学校は、生徒や保護者に選んでもらう努力をしなくていい

私学や塾は、生徒が集まりにくくなり、経営難になることで消滅します。 公立の小中学校は、付近の子どもの人口が極端に少なくなることで消滅します。

公立学校には、入学希望者を増やすための競争は基本的に存在しません。 入学者数を確保するために宣伝を行ったり、特別なカリキュラムを用意する必要はありません。

公立学校においては、生徒数が大きく減ったり、広く報道されるような不祥事が避けられれば、それ以上を目指すインセンティブは特にないのです。

もちろん、指導力向上のための研修や学校全体の改善活動は日々行われています。 しかしながら、制度で担保された共通のインセンティブがない以上、こうした活動の効果は、教育長、指導主事、校長、教頭、教科主任、教員それぞれの内発的向上心に大きく依拠することとなります。

その中で、一部のリーダーシップ人材が特に顕著な成果を短期間に挙げることもあります。 その場合は、公立であるにも関わらず、その学校に子どもを通わせるために引っ越しをする家庭が出てきたりします。

改革の組織的維持が難しい

教育現場の改革が、構造的に一部のリーダーシップ人材に依存していることは述べました。

公立の小・中学校の大半は、基礎自治体(市区町村)がその運営に責任を持っています。 一方で、各学校で教務を担う教員の人事は、政令市を除いては、都道府県が持っています。 業務執行の責任と人事の責任の在処が異なる、ということです。

もちろん、市区町村とその上の都道府県の教育行政はコミュニケーションをとっています。 が、先生たちは、数年ごとに別の学校、時には別市区町村の学校へと配置換えされていきます。 それぞれの学校で必要な人員を集め、長期的な目線で育てるために必要な制度的基盤は存在しません。

そのため、優秀なリーダーシップ人材によって一時的な革新がもたらされたとしても、その長期的な維持は難しく、人事によっては完全に先祖返りしてしまうこともあります。

もちろん、先端人材がさまざまな学校でその実力を発揮できる、という点では大きなメリットもあります。

教育の成果やプロセスの健全度合いが定点評価されていない

リーダーシップ人材の個性を礎にした改革を継続することが制度上難しいことは述べました。 それでも、適切な成果指標を設定することで、改革とは言えないまでも、現場レベルの小さな改善を積み重ねることは可能なはずです。

しかし、こうした成果測定は行われていないに等しい、のが現状です。 成果測定らしきものが行われている場合でも、前年・他校・他自治体、との比較が極めて難しい指標となっていることが非常に多くあります。(刺激的な物言いで気分を害された方がいましたら申し訳ありません)

日々、多様な生徒たちと向き合っている先生が、生徒たちの反応を見ながら授業を改善する。 まさに職人技です。 しかし、学校、自治体、あるいは国の教育行政が組織として改革を完遂するには、道標となる客観的成果(到達)指標が必要不可欠です。

文部科学省が実施している学力テストや学習到達度評価も、国全体の大まかな評価はできますが、各学校、各教員が日々の授業運営の道標に使うためには、頻度や内容のミスマッチがあります。

数年以上に渡る一貫性、客観性、検証性、およびカリキュラムとの親和性の観点で、唯一デファクトの定点観測と言えるのが英語検定(英検)です。 ただこれも「一部の生徒が自身の判断で受けている」「受けるタイミングが統一されていない」等の理由で、共通の羅針盤として使う段階には至っていないと考えます。

新学年の準備期間がほとんどない

日本では、学年は毎年4月に始まり、3月に終わります。 その自治体の属する気候帯にもよりますが、春休みの平均は非常に短く、2週間程度しかありません。

つまり、新しい年度に向けて、新規導入予定の教材や、カリキュラムの変化に対応し、新年度への準備に使えるのが10営業日ほどしかありません。

さらに、この春休みの期間では人事が動きます。 驚きなのは、新しい配属先の学校の業務が4月1日に入らないとできない、というケースが多いこと。 この場合、新年度の準備に使えるのはわずか数営業日しかありません。

この状況において、個々の先生が年度間で教授法を変えたり、教授法の改善を組織的に行うことがどれだけ難しいか、教育関係者でなくても伝わるのではないかと思います。

余談ですが、秋スタートの諸外国においては、各学年が始まる前に1.5-3ヶ月の夏休みがあり、先生たちはこの間に新カリキュラムの分析や教材選定、模擬授業の実施、研修、学会への参加を通して新学年に備えます。

公立小・中学校の改革の難しさまとめ

まとめると、義務教育の9割を占める公立小中の改革の難しさは以下のようになります。

  • 十分に長期かつ一貫した改革インセンティブが発生しない構造になっている
  • 尖った人材が改革に着手しても、組織的継続に繋がりにくい
  • 信頼できるKPIがなく、改善の正当性を評価しにくい

私立や塾とは、同じ教育業界とは言っても、マクロミクロの組織構造があまりに違います。 私教育では、生徒と教育機関が互いを選び合い、校風や指導法で差別化し、模試や進学実績といった、対内外で通用する業績指標が存在します。 言うまでもなく、私教育の予算編成には大きな柔軟性があります。 公立の小中学校では、すべてが異なります。 営利と非営利の差を超えた環境の違いが横たわっています。

公立の環境では、トップが決めた方針をオペレーション(この場合、教授法)の細部に至るまで浸透させる構造がありません。共通して目指せる成果指標も存在せず、人事的なレバレッジも存在しません。

私立・塾と、公立の間で、指導ノウハウの移植が伝統的に困難な理由はここにあります。

私立校の中には、教員の採用から運営まで、一貫した理念のもとになされ、各教科グループ内でその学校らしい指導法を確立するところが数多くあります。

塾・予備校においても、少子化という逆境の中で、競争環境の中での自らのポジションを磨き上げ、その教材や教授法、教員の採用教育法を磨き上げてきた、オペレーショナルエクセレンスの塊のような組織が多くあります。

こうした私費教育のノウハウを公立に持ち込むためには、大前提として、生徒の能力、あるいは意欲に応じたクラス分けを行う必要があるでしょう。 その場合は、背景の大きく異なる同年代と日々過ごす、社会教育の要素が、大きく損なわれることを受け入れなければなりません。

ではどうするか、は別の記事に譲り、今回はここまでとしたいと思います。